🗾 地名由来辞典

大田市 ( おおだし )

島根県 / 大田市 平安時代由来

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市名は『和名抄』に載る石見国安濃郡の「邑陀(おおた)郷」を継承したもので、1954年の市制施行時に旧大田町の町名がそのまま用いられました。「大田」は古代に開かれた広大な水田を指す地名とみられています。

語源

大田市の「オオダ」という呼称は、平安時代の『和名抄(わみょうしょう)』(和名類聚抄)に載る石見国安濃郡(あのぐん)の邑陀(おおた)郷を継承したものです。邑陀郷は現在の大田市大田町のあたりを指しており、古文書には「大た」とも記されることから、もとは濁らずに「オオタ」と呼ばれていたとみられます。市名としての「大田」は、昭和29年(1954年)の市制施行にあたり、旧大田町の町名をそのまま引き継いだものです。

「大田」という地名は全国各地にあり、その多くは「新たに開拓された広大な耕地」を意味する語として古代に名づけられたと考えられています。大田市の場合も、広い水田地帯が地名の由来であるとする説が一般的です。

「大田」はいつ、なぜ生まれたか

邑陀郷の名がいつ、どのような経緯で成立したのかは長く謎とされてきました。これについて島根県古代文化センターの松尾充晶(まつおみつあき)氏は、守山堰(もりやまぜき)によって三瓶川(さんべがわ)から水を引き、台地上に広大な水田を造成した開発と結びつける仮説を示しています。6世紀末ごろにヤマト王権に連なる豪族が大規模な土木工事を行い、その開拓が成功したことを受けて「大田」と命名されたのではないか、という見方です。

これはあくまで一つの仮説ですが、「大田=大規模に開かれた田」という全国的な地名解釈と、この地に残る古代の治水・灌漑遺構とを結びつける点で示唆に富んでいます。石見銀山の印象が強い大田市ですが、地名そのものは鉱山ではなく、水田開発という農業の記憶に根ざしているといえます。

歴史的変遷

時代呼称備考
平安邑陀郷『和名抄』に載る石見国安濃郡の郷名。現在の大田町付近
江戸大田安濃郡の町場・中心地としての地名。石見銀山領と隣接する
明治大田町町制施行による行政地名
昭和大田市1954年、大田町・久手町と周辺の村が合体して市制施行
昭和大田市1956年に大森町ほかを編入。石見銀山の所在地が市域に入る
平成大田市2005年に温泉津町・仁摩町と合併し現市域となる

地名の特徴

大田市の市域は、近世の安濃郡全域と邇摩(にま)郡の東半部を中心に、邑智郡と出雲国神門郡の一部にまで及びます。複数の郡域をまたぐ広い市でありながら、市名には中心集落である大田の名が選ばれました。古代の郷名が郡名や広域地名に置き換えられることなく、そのまま現代の市名まで残った例です。

市域には石見銀山のある大森(おおもり)地区、銀の積出港として栄えた温泉津(ゆのつ)、火山地形をなす三瓶山(さんべさん)など、由来の異なる著名な地名が並びます。そうしたなかで市名だけは、鉱山でも火山でもなく、水田という最も古い土地利用の記憶を伝えている点が特徴的です。同じ石見地方の益田市もまた『和名抄』の益田郷を継ぐ地名であり、この地域には古代の郷名が現代まで生き延びた例が複数あります。

特産・名物

大田市沖の日本海では、喉黒(のどぐろ)(アカムツ)・水カレイ・河豚(ふぐ)などの高級魚が水揚げされる。地域の郷土料理「へかやき」は、カレイや甘鯛・のどぐろなどの魚肉を甘辛いタレで煮る石見地方独自のすき焼き風料理で、家庭から料亭まで広く親しまれている。

三瓶山(さんべさん)麓の高原で栽培される「三瓶そば」は、山の清涼な気候と土壌に育まれた風味豊かな田舎そばとして知られる。石見銀山が栄えた大森地区には老舗の菓子文化が根付いており、「げたのは」(煎餅系菓子)や「銀山あめ」は江戸時代から続く銘菓として今も愛されている。また「銀山赤どり」は大田市産のブランド地鶏で、濃厚な旨みが特徴だ。

地名の変遷

  1. 平安 邑陀郷 — 『和名抄』に載る石見国安濃郡の郷名。現在の大田町付近を指す
  2. 明治 大田町 — 町名がそのまま市名に継承された

参考資料・出典

最終更新: 2026-08-28