語源
「東浦」という町名は、明治39年(1906年)5月1日に知多郡の森岡村・緒川村・石浜村・生路村・藤江村が合併して東浦村が発足した際に定められた新しい村名です。昭和23年(1948年)6月1日に町制を施行し、現在の東浦町となりました。旧村のいずれかの名を継いだのではなく、合併にあたって新たに選ばれた広域の呼び名にあたります。
町域は愛知県の知多半島北東部、衣浦湾の最奥に位置します。東には尾張と三河を分ける境川や衣浦湾をはさんで刈谷市・高浜市を望みます。この知多半島では古くから、衣浦湾・知多湾に面する東側の海岸を「東浦」、伊勢湾に面する西側を「西浦」と呼び分けてきました。江戸時代に伊勢湾で活躍した尾州廻船についても、半田など東浦には運賃積船が多く、内海など西浦には船頭が商人を兼ねる買積船が多い、というように東西の区分で語られています。合併した5村はいずれも、この「東浦」と呼ばれた側にあたる村々です。
ただし、新村名に「東浦」を採った理由を直接記した史料は、町の公式資料やオンライン上で参照できる資料の範囲では確認できませんでした。町名や町内の地名の由来を詳しく扱った資料としては、町郷土資料館(うのはな館)などで頒布される『改定東浦地名考』があります。
歴史的変遷
| 時代 | 呼称 | 備考 |
|---|---|---|
| 不明 | 東浦 | 知多半島の東岸一帯を指す呼び名。江戸期の廻船業を説明する際に、伊勢湾側の「西浦」と対でこの区分が用いられる |
| 明治 | 森岡村・緒川村・石浜村・生路村・藤江村 | 町村制のもとで並立していた5村 |
| 明治 | 東浦村 | 明治39年(1906年)5月1日、5村が合併して発足 |
| 昭和 | 東浦町 | 昭和23年(1948年)6月1日、町制施行 |
町内の地名
町名そのものとは別に、東浦町では各地区に残る小地名の由来が「東浦地名考」として紹介されています。
森岡地区の飯喰場は、村木砦の戦いで今川軍に勝利した水野・織田軍が戦勝の酒盛りをした場所にちなむとされます。緒川の古城は緒川城があった場所で、於大の方の出生地として知られ、水野氏が100年にわたり居城としました。同じ緒川の羽城は「端城」の当て字と推測されています。
緒川新田地区の唐治屋敷や釜池は、知多半島で盛んだった焼き物生産の名残です。唐治は「陶師」に由来する焼き物職人の屋敷、釜池は本来「窯池」で、粘土を加工する水を貯めた池とされます。石浜の蛇子連は土崩れを意味する「蛇崩」が変化したもので、後世に民話が創作されたと説明されています。藤江の「ヤンチャ」は明治まで塩田だった土地で、それ以前は手の付けようがない低湿地だったことによります。
なお大字緒川については、古くは「小川」「小河」とも書かれ、明応8年(1499年)に光山院中納言鳥井雅康が緒川城主・水野氏を訪ねて詠んだ歌にちなんで「緒川」となったという説が伝えられています。これは町名ではなく、町内の一地区の名の由来です。
地名の特徴
町名の「東浦」が半島のどちら側かという位置を示す広域の呼び名であるのに対し、町内の地名は城跡、神社、焼き物、塩田、戦国期の出来事など、土地の歴史をそのまま映しています。伊久智神社周辺の森腰、坂下、西畑のように、社寺との位置関係から生まれた地名も見られます。
広域の呼称を町名に、個々の来歴を小地名にという二層の構造は、明治の大合併で新しい名を得た自治体に共通して見られる特徴でもあります。
特産・名物
東浦町は知多半島東側に広がる緩やかな丘陵地で、巨峰ぶどうの産地として知られています。昭和35年ごろから栽培が始まり、温暖な気候のおかげで他の産地より早く収穫が楽しめます。また、黒毛和牛「下村牛」は地元で育てられたブランド牛として高く評価されています。